私の母の実家は東北内陸部の豪雪地帯にあります。昔から自分の家の食用として鯉を養殖していました。交通網が普及していない昔は、雪国の貴重なタンパク源として鯉が重要な位置を占めていたのです。エサはサナギを与えていました。エサを撒く前に堀の縁の石を別の石でコツコツと叩いていると、やがて鯉が目の前に群れでやってきて、そこにエサを ヒシャクで投入するとそれはそれは凄まじい勢いでエサを食べます。石をコツコツ叩く音はエサの合図だということを鯉は学習しています。子供の頃に見たこの光景は、今でも鮮明に思い浮かべることができます。
このページでは、鯉はどのようにして音を感じ取っているのか解説していくことにします。
人間の場合は空気の振動が外耳(耳たぶと外耳道からなる)に入って鼓膜を振動させ、その振動が中耳を介して内耳に至り、音として感知されます。これに対して魚類は外耳を持たずに内耳だけのため、外観上は聴覚器官をみることができません。
「魚体の名称」のページで、側線は音を含む圧力変動を検知できる器官であることはすでに述べましたが、鯉の場合はその他に2系統の音波検知系統を持っています。ひとつは頭骨が音波で振動し、これを内耳に伝える系統です。もうひとつは、特に鯉やフナの特徴でありますが、ウキブクロが音波で振動し、さらにウキブクロに接している左右3対のウエーバー器官(またはウエーバーの小骨とも呼ぶ)によって振動を増幅し、一旦、無対洞で左右の振動が混合された後に横行管で再び左右の内耳に振動伝達されます。ウキブクロは浮力の調整器官と古くから考えられていましたが、最近の研究では浮力調整説は古い学説とされています。また、ウキブクロを持たない魚種にくらべて、ウキブクロを持つ魚種は、より音に敏感であることが研究結果としてわかっています。
「魚との知恵比べ」川村軍蔵 成山堂書店 P87に加筆
次に頭骨やウキブクロから伝達した振動が最終的に到達する内耳の感覚器官がどのようになっているか解説します。既に述べたとおり、内耳はリンパ液の中に浮いた状態になっていますが、内耳は複数の内耳室とその中にある耳石から成り立っています。耳石は炭酸石灰質で、人間の耳小骨と似ています。内耳では音をリンパ液の動きと耳石の動きに変換され、さらに下の写真に示すような感覚毛を持つ有毛細胞で振動を受容します。その後さらに聴覚中枢へと伝わり、音として認識されます。
さて、こうした聴覚器官で鯉はどの程度の範囲の音を聞くことができるのでしょうか。魚類学者の鯉の研究によれば内耳での可聴範囲は100~1500Hzですが、さらにその先の聴覚中枢に正しく伝達されたのは100~700Hzということです。つまり鯉の可聴範囲は100~700Hzといえます。人間の可聴周波数は一般には20~20000Hzと言われていますので、これよりも随分狭く、しかも低周波域しか音として認識することができないことがわかります。
ちなみに、周波数と身の回りの音とを対応させてみると、よりわかりやすいと思います。例えばNHKの時報の「ポッ、ポッ、ポッ、ピーン」というお馴染みの音は、最初の「ポッ」が440Hz、最後の「ピーン」が880Hzです。一方NTTの「117」でお馴染みの時報は約415Hzと約830Hzです。
下の表に音楽の音階と周波数を示します。NHKの時報は「ド」で始まり、最後は1オクターブ上の「ド」で終ります。NTTの時報は「シ」で始まり、最後は1オクターブ上の「シ」で終ります。鯉は時報の最後の「ピーン」は聞こえないと考えられます。一方、下の表の左側の「ド」よりも1オクターブ低い「ド」は110Hzですから、この辺まで鯉は聞き取ることができることになります。
音階と周波数(Hz)
参考文献
1)「魚との知恵比べ」 川村軍蔵 成山堂書店
2)「釣りの科学」 森秀人 講談社
3)「釣り魚博士」 岩井保 保育社
4)「魚の博物事典」 末広恭雄 講談社
5)「日本の魚」 上野輝彌、坂本一男 中公新書
6)「コイの釣り方」 芳賀故城 金園社