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鯉の歴史と文化 / 鯉の式典

浅草の報恩寺で、鯉を使った珍しい式典「まな板開き」がありますので紹介します。報恩寺は1214年、下総国岡田郡横曽根(現在の茨城県水海道市)に親鸞上人の第一の弟子「性信」によって開かれました。その後、八丁堀の移転を経て現在の浅草に至っていますが、水海道市には今でも下総坂東報恩寺があります。
 

まな板開きの由来

ある日、報恩寺の開祖「性信」のお寺にひとりの老人がやってきて、是非弟子にしてほしいと願い出ました。性信は願いを聞き入れて老人を弟子とし、やがって「性海」という名を授けました。ある日性海は、この御恩は決して忘れませんと言って立ち去り、天神(水海道市菅原天神)のある飯沼のほとりに姿を消しました。その後、天神の神主が夢のお告げを受けました。「性信に感謝を表して毎年池の鯉を2匹贈りなさい」。そして翌朝目が覚めると、手洗いの水の中に2匹の大鯉が泳いでいたということです。以来、毎年1月11日に水海道市菅原天神から鯉2匹が下総坂東報恩寺に贈られ、翌日12日には浅草の本坊に届けられ「まな板開き」の儀式が行われています。
 

まな板開きの式典

浅草報恩寺の大書院には開祖である性信の画像を掛け、その前に竹の簾の子に巻いた鯉2匹を黒塗りの台にのせて供えます。鯉は水海道市菅原天神から献上されたものです。やがて住職が役僧を従えて現われ席に着きます。役僧が簾の子を解いて鯉を大まな板に乗せると、傍らに控えた料理人が、右手に包丁、左手に真魚箸(まなばし)をもって鯉を料理します。料理人は土佐烏帽子(とさえぼし)をつけています。料理している間、式典に参列した人々の念仏が続きます。直接鯉に手を触れることなく料理は進みます。これは「四条流包丁儀式」といわれるもので、「源氏物語」や「宇治拾遺物語」にも登場する「包丁式」であり、国の無形文化財に指定されています。 
料理が終った最初の鯉は、役僧の手により尾が高く立てられます。これは竜門の鯉をかたどったものです。次に第二の鯉は、尾を立てないでヒレと骨で長久の文字をかたどります。
料理された2匹の鯉は、白木造り箱に納められて京都の大本山に送られ、余ったところは細切れにして参列の信徒へ斎(とき)としてほどこされるそうです。

参考文献
1)「魚の博物事典」 末広恭雄 講談社

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