中国の古書に「三十国春秋」というのがあるそうです。私自身は資料不足で、この古書の詳細についてはまだ調査が出来ておりませんが、この中に親孝行な子供が寒鯉をとる話が載っていますので紹介します。
中国の晋の時代に王延という子供がおりました。王延は9歳の時に母親死別して、継母に育てられていましたが、とても親孝行で近所でも評判の子供でした。一方継母の名はト氏(ぼくし)といい、王延に対して無慈悲な態度をとる人でした。
継母は王延に着せる着物を沢山持っていたのもかかわらず、いつもぼろぼろの着物を着せていました。それでも王延は、冬の寒い日には継母に着物を温めてから着せてやり、暑い夏の夜には継母が眠りにつくまで枕元で扇いでいるほど尽くしていたのです。
ある年の冬のことであります。継母は王延に向かっていいました。「生魚が食べたいからとって来てくれ。」雪にに閉ざされた厳冬の季節に、そう簡単に魚など獲れるはずもありません。継母の言いつけに対して王延はすぐに「はい」といって立ち上がりましたが、途方に暮れました。
ぼろ着一枚を身にまとい、霜焼けの手でザルを持ち、素足のままで吹雪の中に出かけました。何度も何度も倒れそうになりながら、やっと小さな池を見つけました。しかし池の水は厚い氷で覆われていて、子供の小さな手では叩けど叩けど割れるものではありません。
王延は「生魚がほしい」と叫んで天を仰ぎましたが、どうにもなりません。そうかといってこのまま引き返すこともできません。思いあまった王延は、ぼろ着を脱ぎ捨ててて素っ裸になり、氷の上に横になったのです。ザルひとつしか持っていない王延ができることといいえば、もはや体温で氷を解かすことくらいでした。
ところが突然目の前の氷が音もなく割れると、そこから一匹の鯉が飛び出してきました。王延は狂気のように喜びながら、その鯉をザルに入れて家に持ち帰りました。「お母様、喜んでくださいませ。大きな鯉を獲ってまいりました。さあ召し上がってください。」
王延はさっそく鯉を料理して継母に差し出しました。「お母様、味はいかがですか」継母は暫くじっと見入っていましたが、やがて箸を置き王延をぎゅっと抱きしめて言いました。「私が悪かった。許しておくれ。」
継母の目からははらはらと涙が流れ、王延の頬にこぼれ落ちました。それからというもの、継母の態度はがらりと変わり、王延に対してはお腹を痛めた自分の子のように可愛がるようになったということです。
参考文献
1)「魚の博物事典」 末広恭雄 講談社
2)「川の魚」 末広恭雄 ベースボールマガジン社