登龍門という言葉を良く耳にします。いうまでもなく、出世や成功への関門という意味で使われている言葉です。これは、中国の「後漢書」の記述が起源となっていますので、その一節を引用し紹介したいと思います。
--------後漢書 党錮伝 李膺(りよう) 参考文献1)訳より--------
当時、朝廷は日に乱れ、綱紀は弛みきった。そのなかで李膺だけは気節を守り、自らの名誉を落とすまいとした。士で、李膺のところに出入りがかなう者があると、「 龍門に登った」といわれたものである(龍門は黄河上流の滝、魚がこれを登り得れば竜になる)。
中国、後漢王朝の第11代皇帝、桓帝(かんてい)[ 在位147年-167年 ]の時代は、君主は愚かで、政治は誤りばかりでした。国の命令さえ宦官(かんがん)に委ねられている状態です。これに対し、士(卿、太夫に次ぐ階級の人)や学生達の間では政治批判の世論が高まっていきます。そんな時代にあって、国境の平定のために度遼将軍に任命された李膺(りよう)は、気骨があって士や学生達に支持されていたのです。学生の間では「天下の手本は李元礼(李膺)」とまで言われたそうです。そんな李膺のところに出入りが許された士に対して「 龍門に登った」という表現を用いたのです。この言葉は元を正せば、黄河上流にある龍門と呼ばれる滝を登った魚は竜になるという「三秦記」の故事によるものです。
以上の話がもとで「鯉が滝を登って龍に変身した」という故事がうまれたようです。ところがお気づきになられたでしょうか。後漢書の記述や三秦記の故事には、一言も「鯉」とは出て来ていないのです。念のために原文を確認しましたが、「大魚」とは書いてあっても「鯉」とは書いてありません。どこでどう解釈されたのか分りませんが、いつの頃からか「登竜門」は出世や成功への関門を意味し、「鯉の滝登り図」は出世や成功の縁起物として好まれるようになり、現代に至っています。趣味が鯉釣りだということを私が言うと、「鯉って滝登りするの?」とよく真顔で聞かれます。実際はあり得ないことなのは、鯉師の皆様なら百も承知ですよね。あくまでも縁起物であり、架空の事柄に過ぎないのですが、後の芸術や文化に大きな影響を与え たのも事実です。
余談ですが、「龍門に登った」といわれた話には続きがあり、これが中国史上の大きな事件に発展していったのです。「党錮の禁(とうこのきん)」という事件をご存知でしょうか。私も高校の頃に世界史で習ったというかすかな記憶があります。この事件は、政治を牛耳っていた宦官が、李膺と士、学生ら200人余りを投獄した事件(166年)です。大義名分は李膺らが党を組んで朝廷を誹謗し、世間を乱しているということだったそうですが、どうやら宦官は自分たちの不正の露見を恐れたためとも言われています。これに対し宦官に反発する活動が起こったため、宦官は169年から党人を徹底的に弾圧し、李膺ら100人以上を処刑、数百人を禁錮にしました。これが党錮の禁です。出世、成功、縁起物の起源となった「登竜門」が、弾圧や処刑の引き金になっていた のです。
参考文献
1)「中国古典文学大系13 漢書・後漢書・三国志列伝選」 本田済編訳 平凡社