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鯉の芸術と民芸品 / ヨーロッパの陶芸
エミール・ガレの陶芸
ガレといえばガラス工芸があまりにも有名ですが、陶芸作品も多く残しています。2020年に茨城県陶芸美術館の企画展として「ガレの陶芸」が開催されました。展示品の中から鯉に関する作品を紹介します。
 
エミール・ガレは1846年フランス北東部のナンシーで生まれました。父シャルルはパリ生まれで元々磁器の絵付け職人でしたが、妻ファニーの実家の商売を引継いでからは高級ガラスや陶磁器の製造販売業を発展させました(ガレ商会)。後に皇帝御用達となり、ナポレオン3世の数々の邸宅にガラステーブルセットを納品しています。
 
1865年、エミール・ガレはドイツに留学してデッサン やデザインを学び、1867年のパリ万国博覧会の開催に合わせて半年間パリに滞在しました。父シャルルは博覧会のガラス部門で佳作を受賞しました。日本からは江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩が参加し、多数の陶磁器、漆芸品、金工品が出品されたそうです。
 
1877年、ガレ商会の経営を父より引き継ぎ、翌1878年のパリ万国博覧会においては、陶器とガラスの作品を出品しました。陶器は「日本の夜」シリーズ、ガラスは「月光色ガラス」シリーズの作品があり、それらは「北斎漫画」(葛飾北斎のスケッチ画集)の図柄で装飾されるほど日本の影響を強く受けたものでした。
 
その後1880年代から1890年代において北斎など日本の芸術を取り込んだ作品がヨーロッパを席巻し、ジャポニスムと呼ばれるようになりました。さらに、これらを含んだ国際的な芸術運動の流れが活発となり、フランスではアール・ヌーヴォーと呼ばれ、エミール・ガレはその立役者となりました。
 
1889年のパリ万国博覧会に出品し、ガラス部門でグランプリ、陶芸部門で金賞、家具部門で銀賞を受賞しました。さらに1900年のパリ万国博覧会ではガラス部門・家具部門でグランプリを受賞しました。
 
1904年、エミール・ガレは白血病のため亡くなりました。妻や娘婿が1931年まで事業を継続しましたが、陶器に関してはエミール没後は一切製作されることはありませんでした。
 

エミール・ガレ(1846 - 1904)

 
以下に示すふたつの青色単彩釉の鉢は一対の作品で、大小の魚や水流、植物が描かれています。大きな魚はもちろん鯉で、特に魚体を逆S字にくねらせた躍動感溢れる鯉の絵は、「北斎漫画」の魚かん(氵に監)観世音に描かれている鯉の影響を強く受けています。一方で鉢全体の形はヨーロッパ風のデザインであり当時の芸術の流れを象徴する陶芸作品になっています。
 

「鉢 魚文」1864 - 1904

 

「鉢 魚文」1864 - 1904

 
エミール・ガレはしばしば昆虫や生き物を擬人化したモチーフを用いており、この作品もそのひとつです。貝にまたがった蛙がまるで馬車の手綱をさばくように鯉の口まで伸びた綱を操っています。こうしたユーモラスな蛙のモチーフは「北斎漫画」をはじめとする日本美術の影響を受けています。
 

「大鉢 蛙」1883 - 1904

 

参考文献
1)「ガレの陶芸」茨城県陶芸美術館 2020年企画展 展示資料 

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