鯉の産業 / ポーランドの養鯉
第二次世界大戦において、ポーランドはドイツとソ連に分割占領されました。大戦後はソ連圏に組み込まれましたが、1989年に非社会主義政権が発足して以来、民主化に成功しました。日本の約8割の面積を有し、人口は4000万人弱。ポーランド語を公用語としています。2004年にEU(欧州連合)に加盟しました。
ポーランドで養魚池が作られたのは13世紀の半ばです。初めは僧院と関係して養鯉が始まりました(「キリスト教と鯉」参照)。当時は粉引きに水車が用いられていましたが、その水車を回す水で養魚を行いました。15世紀にはオシュビンツェムという地域が養魚の中心となり、ポーランドの養鯉発祥地と言われるようになりました。
この時代に書かれたストラミンスキの「養魚読本」は、19世紀まで養鯉マニュアルとしてヨーロッパで読み続けられました。
1870年、ヨーロッパの養魚技術は、ポーランド人のドビッシュによって大きく発展しました。特に彼のつくった産卵孵化場は、後にヨーロッパの基準となりました。
1900年代後半においては、ヨーロッパ第一の養鯉生産額と養殖池面積を誇っています。
ポーランドにおいて水温が摂氏20度を超える日数は約2ヶ月程度であり、日本の6~7ヶ月に比べると鯉の生長条件としては非常に悪いことがわかります。それにも関わらず歴史的にも古くから養鯉に情熱を傾けるポーランド国民にとって、鯉には他の魚種とは違った深い思い入れがあったのかもしれません。
参考文献
1)「魚の社会学」 加福竹一郎 共立出版
参考サイト
外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html