<< PREV  |  MENU  |  NEXT >>
ヒストリー / 時計工場「ハルダ」

ハルダ設立

1880年、時計技術者のヘニング(Henning Hammarlund)は、スウェーデン南部の小さな町スヴァングスタにやってきました。モラム川が流れる美しいこの地を歩きながら、長年の夢であった時計工場を建設することを決心したのです。時計先進国のスイスとドイツで時計作りの技術を学んだヘニングによって、スウェーデンでの時計作りの歴史が幕を開けようとしています。ヘニングは時計作りの経験のないスヴァングスタの若者達を教育することから始め、1887年ついに工場が完成して時計の生産を開始しました。社名はオーナーにちなんだ「ハルダ(Halda)」。さらに1891年には、工場長兼設計者が雇われました。カール・オーガスト・ボーストローム(Carl August Borgstrom)で、後のABU社の創業者です。
 

 

隆盛

ハルダ社の業績は順調で、小型置時計、電話の通話時間計など時計事業の拡大を図った上に、1896年にはタクシーメータの製造を開始しました。当時はタクシーと言っても自動車ではなく馬車の時代です。そんな中でタクシーメーターを販売したのですが、輸出も好調で、特にロンドンにおいてはタクシーメータに関してハルダ社の独壇場でした。馬車の車輪の回転を利用してメーターを駆動する方式で、客からも見やすいように馬車の外側にマウントされていました。
 
懐中時計に関しては桁はずれにハイクオリティで、ゴールドとシルバーが使われ、客の要望に合わせて彫刻を入れたりスペシャルな文字盤の製作にも対応しました。また視覚障害者用に点字時計も作られたそうです。
 

倒産

1918年に第一次世界大戦が終焉をむかえましたが、この頃ドイツ経済は完全に破綻していました。ヨーロッパ各国でタクシーメーターのリースを成功させていたハルダ社ですが、この頃はロンドンにおいてリースを継続するかたわらで、以前から徐々に手がけていたタイプライター事業も軌道にのってきつつあったようです。
 
一見して健全な経営状態にあるハルダ社ですが、急変を迎えます。一説によると、ヘニングが当時不安定なドイツマルクに絡む投資で失敗したとも伝えられていますが、実際のところはどうだったのか今となっては知る術もありません。
 
ハルダ社の経営権が銀行の手に渡ると同時に、タイプライター事業に集中する経営方針が打ち出され、タクシーメーターと時計の製造ラインは売却されてしまいました。さらに数年後には工場が別の場所に移転され、社名はハルダから「ハルデックス」に変更されました。こうして「ハルダ」の三十余年の歴史は幕を閉じたのでした。

<< PREV  |  MENU  |  NEXT >>