Recordの進化
1941年のRecord1000シリーズ発売以後、さらに機能を充実させた2000シリーズを発売しました。Record2000は、それまでラインが引き出されるときに指でスプールを押さえていた代わりに、プッシュボタン式スプールブレーキを搭載しました。さらに1945年に発売されたRecord Sport2100には、スプールフリー機構と遠心ブレーキ機構が搭載されました。1940年代、スェーデンではスポーツ・キャスティングが盛んで、より遠くまでキャスティングする競技会では、Sport 2100は多くのワールドチャンピオンを輩出しました。このリールに関しては、競技用にマグネシウム合金製のスプールも販売されていたそうです。
こうして、世界に名をとどろかせたRecord2000シリーズは、1951年にスウェーデン王室御用達の栄誉を受けるとともに、リールに国王の徽章(きしょう)が付けられることが許されました。現在でもなおABUのリールといえばこの徽章がシンボルマークとなっています。
(徽章の文字について)
2100の徽章には「HM KONUNGENS HOVLEV.」と書かれています。この意味を調べたところ「国王御用達 」ということのようです。真中の写真Ambassadeur 7000の写真をよく見ると、文字が違っていて「Kungl Lavleverantor」つまり「ロイヤル御用達」に変わっています。同じ意味だと思うのですが、なぜ途中から変えたのか今のところ調査できていません。
Record Sport 2100
ABU リール大図鑑p127より引用
Ambassadeur 7000 (SN.910504)
現在のスウェーデン国章
エイク・ムーバル(Ake Murvall)
Recordシリーズが順調に進化を遂げている真っ最中の1944年、工場長にエイク・ムーバルが就任しました。彼はかつてABUに部品を供給しているダイキャストメーカーで働いていた優秀なエンジニアであり、当時からABUがアルミスプールに鋳物を使わないことを不思議に思っていました。
Ambassadeur設計者エイク・ムーバル(左側)
ABU and Garcia - What Happened? p55より引用
ABUの工場長に就任して、その理由がわかりました。設計図に寸法公差が指定されていなかったので、ある程度の寸法ばらつきがある鋳物を使うことができず、旋盤加工をした部品を使わざるを得なかったわけです。当時のABUは、組立作業者が調整したり、削ったりしながら組立てをするやり方で、現代では常識になっている、部品を所定の精度内で作り、無調整で組み立てをするマスプロダクション方式から程遠い状態だったわけです。逆に考えると、Recordの性能が当時としてはずば抜けていたことは、組立者の腕による部分が非常に大きかったとも言えます。
エイクは工場長としての日常業務が多忙だったため、仕事を終えた夜や週末を利用して新型リールの設計を行いました。めざしたのは機能の充実はもちろんのこと、部品品質を高め、無調整で誰でも組立ができるリールです。ABUの高品質、高精度の評判はエイクがその基礎を作ったといってもいいでしょう。Ambassadeurは自分でパーツ交換が可能であったり、メンテナンスが簡単にできるのも、エイクの設計コンセプトの恩恵です。
ABUの歴史を語る上で、おそらくエイクがクローズアップされたことはほとんどないと思われます。工場長として雇われたエイクですが設計センスも抜群であったため、彼の代表作のひとつであるAmbassadeurが現在でもその姿をほとんど変えることなく世界の釣り人に愛されているものと思います。
米国特許を少し検索してみると、エイクは少なくとも特許登録が1978年までありました。このことから、工場長就任の1944年から30年以上にもわたってエンジニアとしても第一線で発明を続け、マネージメント業とエンジニア業の二足の草鞋を履き続けたことがわかります。収集派のアブマニアの中では、1980年以前のリールをオールドABUと定義して収集対象としているようですので、見方によってはエイク・ムーバルの時代の商品を超える魅力あるABUリールが1980年以降出現していないとも言えます。
Ambassadeur5000
エイクが設計した最初のAmbassadeurには5000番が与えられ、1952年に発売されました。搭載された機能は、遠心ブレーキ、フリースプール、レベルワインド、スタードラグです。革製のエレガントなケースと消耗交換部品が付属していました。当時、世界で最も高価なリールであり、約45USドル。ちなみにフルーガーやシェークスピアのリールは、当時30ドルでしたので、如何に高価であったかがわかります。
Ambassadeur5000(1952年)
ABU and Garcia - What Happened? p58より引用
当時のリールには、ニッケルメッキかクロムメッキのいずれかが一般的でしたが、このAmbassadeur5000はサイドキャップにアルミを採用したため、アルマイトメッキで色を変えることが可能になりました。はじめは、レッド・ブラック・ゴールド・グリーンの4色を用意したところ、お客さんの人気投票ではグリーンが一番でした。しかし、イエテの鶴の一声で今後はレッドを主流にすることが決定しました。Ambassadeurは世界で最初の赤いリールとなったのです。
序論 |
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