Recordの開発経緯
ABU創業者である父カールが他界した上、第二次世界大戦が勃発し、イエテにとって苦難が続きました。タクシーメータはもはや出荷が見込めない中でABUでは記念品としての壁掛け時計(アニバーサリー・クロック)の生産を行っていました。これは装飾を施した木製フレームに納められた時計です。しかし、こうした時計は当時ドイツのお家芸であり、ABUにとってはもっと市場規模が見込める製品を手掛ける必要に迫られていました。
そんな中で、イエテはかねてより興味があった釣り具に着目しました。彼はしばしば父カールとモラム川で釣りを楽しんでいたのです。スウェーデンで販売されていたキャスティングリールはすべてUSA製で、シェークスピア、サウスべンド、フルーガーなどでした。ところが大戦勃発とともにリールの輸入はストップされてしまったのです。イエテは早速それまでのリール輸入量を調査したところ、合計約5000個。これは十分対応可能な市場規模であることを確信した彼は、アニバーサリー・クロックに代わる商品と考えました。
イエテはアメリカ製リールをいくつか買い、それぞれのリールの優れたところを取り入れてスウェーデン初のキャスティングリールを作り上げました。4種類のモデルで、それぞれ各25個、合計100個のリールを製造しました。リールの専用製造設備などありませんから、完全ハンドメイド品です。4モデルは、Record1500、1600、1700、1800のナンバーをつけられ、1800が最も高価格で、1500は低価格モデルとしました。4モデルは基本設計は同じですが、メッキの種類が違ったり、ブレーキシステムに違いがあります。1941年の販売価格は、Record1500が2ドル以下、Record1800が約5ドルでした。ちなみに、商品名の「Record」は、かつて販売したタクシーメーターの商品名をそのまま受け継ぎました。
Record 1600(1941年)
ABU and Garcia - What Happened? p27より引用
写真を見て解るとおり、このリールの基本構造は現在のリールとほとんど同じです。当時のUSA製の最高のリールを凌駕するイエテの設計の完成度の高さが伺えます。これを可能にしたのは、時計やタクシーメーターで培われたギヤ製造技術、ア二バーサリー・クロックで培われたメッキなどの外装技術であることは容易に想像できます。さらにイエテ自身が毎週のようにモラム川のデルタ地帯でパイク釣りをし、リールのフィールドテストができたことは、リールの信頼性、品質の上で重要な点です。
「Pebeco」と「Record」
イエテはスウェーデンのすべての釣り具卸業者とアポイントメントを取って、「Record」リールのデモンストレーションを行いました。その結果、イエテは年間5000個の市場規模はあると見込みました。
最初の契約はベルグハウス(Berghaus)商会でファーストオーダーで3000個、ただしブランド名を「Pebeco」として販売することとなりました。さらに売れ行き次第では、2000個追加発注をするとの約束も取り交わしました。
次に、デンニングホフ(Denninghof)商会から、工場の生産能力は?と聞かれたとき、イエテは大胆にも年間15000個と答えました。しかしこのことは、スヴァングスタの工場の人は誰も聞いていません。すでにベルグハウスのファーストオーダーと追加オーダー合わせて5000個の件がありますから、デンニングホフ向けに10000個の生産能力を追加する必要があります。デンニングホフは3年間「Record」ブランドのリールの独占代理店契約をし、10000個の発注とともに前渡金も出しました。これを資金に、イエテはリール製造設備を整え、生産能力を増強することができました。
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