<< PREV  |  MENU  |  NEXT >>
文芸・故事・伝説 / 太公望

釣り人のことをよく「太公望(たいこうぼう)」といいます。「昔いた釣りの名人だろう」くらいにしか思っていない方がほとんどだと思います。実は一般の認識と全く異なる人物なのです。このページでは、「鯉」というカテゴリーを超えて、釣り人として太公望は竿先の向こうに何を見すえていたかについてお話したいと思います。
 

中国史と太公望の時代

私の時代の歴史教科書では、中国王朝の始まりは紀元前1500年ころの殷(いん)とされていた記憶があります。殷とは王朝最後の首都名で、正式名として商王朝と呼ぶ場合もあります。殷の最後の皇帝「帝紂(ていちゅう)」は非道の君主、その妻「妲己(だっき)」は妖艶な美女だったそうですが、淫楽、残虐を極め、殷を滅亡に導いたとされます。ふたりは酒を飲みながら、罪人が火中に落ちて苦しむ「炮烙(ほうらく)の刑」を見て楽しむという、背筋が凍るような処刑を行い、民から恐れられていました。
そんな時代に、周の文王(ぶんおう)は「仁徳」を重んじ、慈悲の政治を行い、近隣諸国の支持を得ながら殷を滅亡に追い込みます(殷周革命 紀元前1064)。この文王の時代から殷周革命を成功させた帝王で、文王の次男「武王(ぶおう)」の元で軍師として類稀なる手腕を発揮したのが太公望だったのです。
 

釣り人太公望

軍師「太公望」が、釣り人として後世まで語り継がれるようになったいきさつについて紹介しましょう。参考文献1)から、引用文を以下に掲載します。
 
----------「太公望」 芝豪 PHP研究所 より--------

妙な老人がいるという。幾日も釣りをしながら、獲物がない。いくら下手でも、もう少し何とかなりそうなものだが、一匹も釣れない。老人は毎日飽きもせず、釣り糸を垂れている。それも、終日---。
「見たか、あの爺さまを。釣り針が水面から三寸は離れて、空中に浮いたままだったぞ」(中略)
「いや、三寸なんて、そんな生やさしいものじゃなかったな」(中略)
「でもよ、餌はついていなかったようだな」
「そう。それに、釣り針も鉤がなかった。真っ直ぐだったな」

 
このシーンは、周の文王に近づく前に、自分の部下となりえる有能な人物が現れるのを、ばん渓川(ばん:石偏に番)のほとりで竿を出して待っているところです。
 

「太公望」芝豪 PHP研究所


都ではこの老人の話で持ちきりとなります。この話をきいたきこりの武吉(ぶきつ)が、太公望を訪問すると早速認められ、文王への使者としての大役を仰せ使います。文王はこの使者の話を聞き、さっそくばん渓川で竿を出している太公望を訪れます。文王はこの老人が今まさに周が手を結ぼうとしている南方姜族(きょうぞく)の軍師であることに気がつきます。ばん渓のほとりでの文王と太公望が会うシーンは、後に多くの絵に残された有名な話です。ちなみに太公望とは文王が名付けたもので、「この人こそ、わが太公(ちちぎみ)が、国を栄えさせる聖人として待ち望んでおられた人物」としたことから、「太公望」と呼ぶようになりました。尚、太公望が竿を出していたのは、ばん渓川ではなく渭水(いすい)という説もありますが、いずれが本当か定かではありません。
西洋の釣聖アイザック・ウオルトンと並んで、東洋の釣聖は太公望と言われることもありますが、太公望は決して釣りの名人ではかったようです。目の前の川の魚を釣るために竿を出しているのではなく、壮大な目的を達成するためのあくまでも手段として竿を出していたに過ぎなかったのです。そのスタイルが余りに常識を逸脱していたことから、後世まで語り継がれることになりました。太公望が竿先の向こうに見ていたものは、大魚ではなく「天下」だったと言えるでしょう。
 

太公望の故事「覆水盆に返らず」

周帝国の建設のヒーロー「太公望」ですが、その半生は失敗の連続だったようです。釣りをしても釣れないのはもちろんですが、商売をしても失敗し、妻は太公望を痛罵して逃げた(一説では太公望の方が家から追い出された)と伝えられています。その後軍師となった太公望の話として前述の文王との出会いがあるわけです。周帝国の中の斉(せい)の国王に太公望が出世したある日、王の行列が通る路傍に一人の女がうずくまっていたそうです。それは太公望の元の妻でした。彼女はそれまでの自分の非を詫びて復縁を申し出てきたそうです。太公望は盆に水を汲んできて女の前で盆の水を地面に注ぎました。太公望は女に「その水を すくえるか」と訪ねました。地面にしみた水をすくえるはずもありません。「一度覆された水が盆に戻せないように、一度別れたものは再び元に戻らないものだ」といて去ったそうです。これが「覆水盆に返らず」という故事の元といわれています。世界の悪妻として有名なソクラテスの妻と並んで、太公望の妻も悪妻として語り継がれていますが、悪妻は時として偉大な男を作り上げる原動力になるのかもしれません。
 

参考文献
1)「太公望」 芝豪 PHP研究所
2)「大黄河を釣る」 森秀人 小学館

<< PREV  |  MENU  |  NEXT >>