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鯉の歴史と文化 / キリスト教と鯉

キリスト経の戒律

ヨーロッパにおいて、キリスト教の普及と鯉とは密接に関係がありますので紹介しておきます。僧院がつくられたのが6世紀のことですが、その後次第に北ヨーロッパにもキリスト経が普及していきました。キリスト経の戒律の中に、肉を食べてはいけない日が制定されていて、僧院はこの戒律を信者に守らせるのが主な仕事のひとつとなっていました。肉を食べてはいけない日は、当時はイースターまでの40日間も含めて年間100日を越したと言われています。戒律を破ると、時には死罪に値したほど厳しいものでした。
 

鯉の品種改良

戒律を守らせるためには単に罰するだけではなく、獣肉に代わる魚肉を供給することが僧院に求められるようになりました。それまでは河川や湖で漁業をおこなっていたのですが、これでは天候に左右されやすく、戒律を守るのは困難な場合があります。そこで僧院では養殖を始めたわけですが、当初はパイクやフナなどを飼育し、やがて飼育しやすい鯉に移って行きました。14世紀から16世紀にかけては、偶然の品種改良に頼っていたのですが、17世紀になると成長が早くて大型になる鯉をめざして、特にオーストリアの僧院を中心に品種改良を競ったようです。
 

ドイツ鯉

20世紀の始め頃、ドイツのババリヤ地方で生長のよい優秀な鯉の品種が現れました。北ヨーロッパの寒冷地に適した性質を持っており、ウロコ鯉に比べて腸の長さははるかに長く、さらにエサを濾す鰓耙(さいは)の数も多く、水中プランクトンを摂取し易い性質に改良されたものです。食用ですからもちろん肉が多く、鱗が少なくて食べ易い性質であることは言うまでもありません。尚、「ドイツ鯉」と呼ぶのは日本だけで、海外では「鏡鯉」「革鯉」と呼んでいます。
 

宗教と鯉

鯉の普及は洋の東西を問わずに宗教と関連しているという共通点があります。ヨーロッパではすでに述べたとおり、キリスト経の戒律が鯉の養殖のきっかけとなっています。一方、日本においては天武天皇の食肉禁止令(676年)が鯉の普及を促しています。食肉禁止令の背景には仏教の思想があり、獣肉を嫌い魚を尊ぶ風潮が土台となっています。

参考文献
1)「魚の社会学」 加福竹一郎 共立出版
2)「お魚の分化誌」 有薗眞琴 舵社

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