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鯉の芸術と民芸品 / 琴高仙人図

中国の芸術の影響を強く受けた日本では古代中国の仙人がよく登場しますが、特に鯉にまたがった「琴高(きんこう)仙人」の作品が多く残されています。
 
「琴高仙人」は、中国の周時代の仙人で、琴の名人です。200年ほど諸国を放浪した後、弟子達に「龍の子をとってくる」と言い残して川に飛び込みました。約束の日に弟子達が川で待っていると、鯉にまたがって現れたと言い伝えられています。
 
「登龍門」のページに記載したように、「鯉が滝を登って龍に変身した」という故事からすると、琴高仙人が言った龍の子とはすなわち鯉だったのです。


雪村「琴高群仙図」 出典)「別冊太陽 水墨画発見」山下裕二編 平凡社 p65

 
上に示す「琴高群仙図」は、弟子達が見守る中鯉にまたがって現れた場面を描いたものです。この絵を描いた雪村周継(せっそんしゅうけい)は、1500年頃、常陸国(現在の茨城県)の戦国武将佐竹氏の長男として生まれましたが、若くして常陸太田の正宗寺に入り、画僧となりました。関東各地を遍歴しながら水墨画をきわめ、晩年は岩代国三春(現在の福島県)で過ごしました。仙人や隠者の絵を好みましたが、雪村本人もほとんど仙人のような暮らしをしていたと考える人もいるようです。
 
尾形光琳(おがたこうりん)は江戸時代を代表する画家の一人です。1658年、京都の呉服商の次男として生まれました。遊び好きのため借金に苦しむ生活をしていたようで、弟で陶工である尾形乾山(おがたけんざん)からも借金をしていました。そんな生活とは裏腹に、国宝である屏風画を残すなど、画才に関してはずば抜けていたようです。代表作には「紅白梅図屏風」や「燕子花(かきつばた)図屏風」などがあります。
 
下の琴高仙人図を御覧下さい。独特の波を描く技法は自身の他の屏風図などでも試みていたものですが、専門家の中にはこの波は「闊達さに欠ける」と評価している人もいるようです。ひょっとしたら、技法としては完成途上のものだったのでしょうか。
 
雪村の作品と比較すると、琴高仙人の表情の違いに注目されます。先の雪村の作品では、うつむき加減でちょっと困ったような琴高が表現されています。一方、光琳の作品では、琴高の顔が隠れがちにしか描かれたいないものの、天に昇る鯉に悠然とまたがる琴高仙人の余裕が感じられる作品です。感情豊かな雪村の作品、上昇志向を表現した縁起物としての光琳の作品、同じ画題であっても全く異なる表現であり、面白さを感じます。


光琳「琴高仙人図」
出典)「水墨画の巨匠 第六巻 宗達・光琳」講談社 p61


さらに異なる琴高仙人を描いた作品を紹介します。下の写真は伊万里焼に描かれた琴高仙人図です。右の拡大写真でも分るように、ロディオでも楽しんでいるかのような琴高の大喜びした表情と、それを見ている鯉の目の表現が印象的な作品です。食器に描かれる絵としては、喜びを表現したほうがより美味しく、楽しく食事が出来ると考えられます。
 

色絵 琴高仙人文 鉢 伊万里 17世紀末~18世紀初
出典)「古伊万里 赤絵入門」中島誠之助 平凡社


少し違った琴高仙人図を紹介します。下の絵は円山応挙が描いたものです。これまで紹介したものはすべて鯉にまたがった琴高仙人ばかりでしたが、この絵は二匹の鯉の背中に立っています。実に変わった構成ですが、中国画の影響を強く受けているといえます。

 
水面に立っているかのごとく描かれた琴高仙人の姿は、実に自然体でリアルです。応挙は人体をリアルに描写するために、男女問わず多くの裸体を写生し、研究を重ねました。人物画を描く際には、まず下絵として裸体画を描いた後に、その上に着物を重ねて描いたとも伝えられています。
 
鯉の絵は、波間に魚体が霞むように描かれていますが、頭部だけは力強いタッチです。特に鯉の目は生き生きと表現されており、魚体とは対照的で実に印象的です。さらに波の描写に関しては、じっと見つめていると動いているかのような錯覚に陥ります。
 

円山応挙 「波上群仙図」
出典)「水墨画の巨匠 応挙」講談社 p40

 

参考文献
1)「重要文化財10 絵画Ⅳ」 文部省文化庁監修 毎日新聞社編集 毎日新聞社
2)「別冊太陽 水墨画発見」 山下裕二編 平凡社
3)「水墨画の巨匠 第六巻 宗達・光琳」 加山又造、平山郁夫、村重寧 講談社
4)「古伊万里 赤絵入門」 中島誠之助 平凡社
5)「水墨画の巨匠 応挙」 安岡章太郎 佐々木丞平 講談社

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