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永遠の本棚 / 第4竿: 野田知佑「ゆらゆらとユーコン」

「ユーコンの川面から」 より抜粋

「アラスカでは人は頭のてっぺんからつま先まで100パーセント、フルに使って生きねばならない。そういったフル・ライフがしてみたかった」厳しい荒野の中で力いっぱい頑張って生きる時、人は文明社会の暖衣飽食の中で感じていた倦怠感、無気力を忘れてしまうのである。 (中略)
「アラスカの生活は肉体的には辛いが、精神的には満足感がある。都会の生活は楽だが、楽しくはない」

 
「フル・ライフ」この言葉を初めて知った時、私は非常に衝撃を覚えました。誰でもわかっているように、人間にはあらゆる能力が備わっていますが、日常生活ではその中のほんの一部しか活用していません。これは肉体的にも、精神的にもそうであることは間違いありません。文明社会はあらゆる便利な道具を生み出してきました。人間がより楽に生きていくためにあらゆる道具 が作られたのですが、皮肉なことに人間が本来持っている能力を低下させることにも繋がったのです。

社会生活をしていく上で、人は誰でも多かれ少なかれルーチンワーク的な生活をしています。ある意味ではこれが生活のリズムであり、必要不可欠な部分ともいえます。しかし時としてその限られた範囲の生活の中で、行き詰まりを感じたり、無力感を感じたり、あるいは挫折感を感じたりしながら生きている場合があります。これがストレスとなり、あらゆる体調の変化として現れる人が少なくありません。

そんな状況を脱却するには、日常生活を離れ、普段使わない能力を活用せざるを得ない環境に身を置くことで、心身共にバランスを取り戻すことが可能になります。例えば私の場合ですと、仕事は一日中デスクワークが多く、運動能力はほとんど活用しませんし、五感をフルに使うこともありません。その分、休日は野外生活をすることで自然を感じ、肉体を活用し、 そして五感を働かせることで本来の自分を取り戻すことが出来ます。人間は持っている能力をバランスよく発揮している時、最も生き生きとしていられるような気がします。

さて、今回このテーマを取り上げるきっかけとなったのは、過日の友人の死でした。彼は自らの命を絶ってしまいました。生真面目で、いつも人に対して優しく接しました。彼の人望は、葬儀の参列者の涙の多さが物語っていると思います。 彼の真の苦しみや動機を理解することは出来ませんでしたが、何もしてやれなかった自分がとても悔しく思われます。

人はどんな局面に置かれても、決してすべての道が閉ざされるわけではありません。ましてや今その悩みによって、自己の存在を否定する必要はありません。その悩み、苦しみは、人間として日常生活の極一部の事柄でしかないのです。人間にはもっともっと多くの能力が備わっており、常に将来に多くのチャンスと可能性を秘めています。

「フル・ライフ」 今改めてこの言葉を思い出し、神のみぞ知る自分の寿命をまっとうするまで、すべての能力を使って生き続けたいと思います。

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