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永遠の本棚 / 第3竿: 佐々木一男「釣り達人たちの裏話」

小西茂木 私説・釣魚訓 より抜粋
 

春は花、秋は月
(花はサクラ、月は中秋の名月のこと。いずれも荒食いの好機開幕のしるしである)

桜の開花は関東では4月上旬ですから水温の上昇が早い水域ではまさにシーズン開幕です。一方、中秋の名月とは”旧暦の8月15日の満月”という意味ですが、現実には旧暦8月15日が必ずしも満月というわけではありません。このあたりの時期の満月を西暦でいいますと、2005年は9月18日。それ以降の年は9月中から10月初あたりになるようです。MCFの春、秋のオフ会開催時期もまさに”春は花、秋は月”ということになります。
 

果報は寝て待て
(野ゴイや磯の底物釣りに、このことわざの信奉者が多いようだ)

現代のぶっ込み釣りスタイルはまさにこれが当てはまります。私などはセンサーをセットして車中で寝て待っているわけですから、言い訳の余地もありません。ただし、仕掛け選び、場所選び、エサの調達などは努力を惜しんではなりません。その努力なくして寝て待っても果報はやってこないでしょう。やるべきことをやった上でこの境地に達すれば、釣行そのものを楽しむことができるようになるのではないでしょうか。
 

釣趣はみずから作り出すもの
(哲人いわく、「われ思う故にわれあり」)

”趣(おもむき)”という、実に繊細でファジーな領域は、個人差が極めて大きいといえるでしょう。釣りに何を求め、そして何に満足するかは、それぞれの釣り人にとって自由であるべきものと思います。その一方でその価値観を他人に押し付けるようなことは慎むべきことと思います。こうしてMCFを運営しながらも、私どものコンセプトを皆様に押し付けていることはないだろうかと常に自問自答している毎日です。
 

大物には大エサ
(あたり前の話だ。が、気のつかぬ人が少なくない)

最近、タニシやボイリーをエサとして使うようになって、この言葉が実に身にしみて感じられます。自然界では小型の魚の方が圧倒的に多いわけですから、大型を狙うには大型しか食うことができないエサを選べばいいわけです。その分ボーズの確率も高いのは覚悟しなければなりません。これほど単純な論理に気付くまで、私も含めて釣り人は随分遠回りをしているものです。しかし無駄とも思える試行錯誤が、釣りの楽しみのひとつでもあります。
 

おもしろいように釣れては、おもしろくない。
(ベテラン釣り師のいいぐさ)

私の場合、おもしろいように釣れた経験がないので、実際のところどうなのかは語ることができません。あくまでも想像の範囲で言いますが、もしも行けば必ず巨鯉が釣れるポイントがあったとしても、楽しいのは初めだけで次第に行かなくなってしまうような気がします。釣りを知らない友人曰く。「○○池にいけば大きな鯉がウヨウヨいて近くに寄って来るから、そこで釣ったらいいじゃない」 そこが釣り禁止かどうか以前に、まったく行く気がしません。
 

釣り師ほど天狗の多いものはない。
(なまぐさくて鼻もちならぬ)

これは世界に共通した釣り師の特徴のようです。どこの釣り場に行っても、”ヌシ”とよばれるほどそこに通いつめている釣り師がいて、話しかけてきては自分の過去の釣果自慢が始まります。私も釣りを始めた頃はこうした”天狗さん”達には困ったものでしたが、最近では歳とともに図々しくなってきたせいか、”天狗”ウォッチングを楽しむようになってきました。自慢話をする人間を観察するのは実に愉快なものです。
 

釣りマナーなんて、外国へ行ったときだけのものらしい。

これは鋭い言葉です。海外の釣法が日本に流入した場合や、海外の釣り大会に日本から参加する釣り師がいる場合には、決まって「魚の保護 自然保護」を前面に謳います。しかし日常の釣りについて考えて みますと、なんとも悲しい状況を目の当たりにする場合があります。私自身も、まずは自分でできるところからマナー改善に努めて続けていきたいと考えています。
 

釣り人といわれる人たちは、あんがい賢くないらしい。

まったくその通り。自覚しております(笑)

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