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永遠の本棚 / 第2竿: トム・オライリー「コーンウォールの池のほとりで」

「はじめに」 より抜粋

魚釣りの真髄は学ぶことにある。魚のことだけではない、自然やまわりの世界について学ぶ、それが釣りだ。

 
私の普段の釣行回数は地元での短時間チョイ釣りを除けば月に1回、多くても精々2回程度のペースです。おそらく鯉釣りサイトの運営者の中では、相当少ない 方ではないかと思います。では釣りに行かない時はどうして過ごしているかといいますと、もちろん家庭サービスやさまざまな用事などもこなしていますが、空いた時間を利用して仕掛けを作ってみたり、釣りや自然に関する本を読んだり、あるいは釣具に貼り付けるステッカーなどを自作してみたりして楽しんでいます。さらにそうしたことをネタに、こうして鯉釣りサイトを作って皆様に 見ていただいている次第です。私にとっては釣り場に行かれなくても、それに関連したことに熱中している時間すべてが釣りをしているのと同様に楽しみとなっているわけです。毎週竿を出すぐらいじゃないと大物には会えないとお教えくださる方もいますが、私にとってはこれがちょうどいいペースであって、細く長く一生続けて 行きたい趣味だと考えていますし、むしろ根を詰めてハードなペースで釣り場に向かうのは自分には向かないと思っています。
さて「学ぶ」ということに関してですが、「釣り」というキーワードを出発点として「魚」「河川湖沼」「気象」「環境」・・・などなど無限に関連キーワードが浮かんできます。社会におきましてはあらゆることが複雑に関連性を持っていますので、疑問に思ったことを知ろうと思うと無限に対象範囲が広がってきます。 これは何も釣りに限ったことではないのかもしれません 。文献を通して知識として学ぶだけではなく、釣り場から実体験として学ぶこと、そして釣りを通して知り会えた人たちから学ぶことなどなど、一生かかっても学びきれない無限のことがあると思います。それだからこそ私は釣りの奥深さに魅了されているのです。トム・オライリーの言葉はまさに私の釣りの楽しみ方と通じるものがあり、強く印象に残ります。
 
「4 春のおわり」 より抜粋

肩にかけたカメラが揺れる。僕の人生のひとコマひとコマをいつでも記録できる、心強い道具だ。カメラを使えば、どんな芸術家も再現できない、貴重な一瞬をとらえることができる。もちろん画家も、その画家ならではの見事な作品を何ヶ月もかけて完成させることができるが、僕にとってはシャッターを押すほうがはるかにやさしく思える。完璧な瞬間を見つけるには、おそらく何ヶ月も、ときには何年も辛抱しなくてはならないだろうが。

 
私のフィッシングベストにはいつでもカメラが入っています。デジタルカメラは撮影時刻まで記録されるため、メモ帳代わりにパチパチ撮影しておいて後で不要なものを消去するという使い方ができるようになりました。もちろん銀塩写真にも時刻を入れる機能は以前からありましたが、フィルムや現像コストの問題がありましたので、デジタルのようにはいきません。デジタルカメラの普及により、撮影は以前と比べ物にならないくらいお手軽で身近なものになりました。
写真をたくさん撮っていると、中にはなかなかいい雰囲気で写った写真、あるいは偶然にも決定的な瞬間を撮った写真などが含まれているときがあります。プロカメラマンは意識的に最高の写真を撮ることができるわけですが、私共一般人はそう簡単にはいきません。しかしシャッターを押す回数が多ければそれだけ貴重な瞬間に遭遇する確率が高いのは明らかです。釣果写真だけではなく、自然の風景や周囲のあらゆる物に常に目を向けてることで、よりゆったりとした気持ちで釣りが楽しめるようになるとともに、こまめに写真に納める事でその時々の周囲に対するさまざまな感動がいつでも蘇ることになるでしょう。

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