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釣りの研究室
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中国の養鯉

初版 2005.11.27

《要約》

  • 中国での養鯉は約3000年前の殷の時代に始まり、養蚕の副産物であるサナギを餌にしていた。
  • 春秋時代の范蠡が世界最古の養魚書『養魚経』を著し、鯉の養殖を体系化した。
  • 唐の李淵皇帝が「李」と音が同じ鯉を禁じたことで、民衆は草魚などに転じ、施肥混養技術が発展。
  • 施肥混養は池を立体的に活用する養魚法で、現代も科学的に改良され受け継がれている。

養鯉の起源は三千年前の殷の時代に

中国における養鯉の始まりは、およそ三千年前、紀元前1150年ごろの殷(いん)の時代にさかのぼります。これは、その時代の遺跡から発見された甲骨文字に、鯉の飼育に関する記録が残されていることからうかがえます。当時、人々は川や沼で捕らえた魚を池に放して育てていたようですが、とりわけ鯉に関しては、養蚕と組み合わせて飼育されていました。蚕を育てたあとに残るサナギを、鯉の餌として活用していたのです。
 

范蠡と『養魚経』――鯉が中心の養魚学

その後、養魚をより本格的な形で発展させたのが、春秋時代の越王・勾践(こうせん)に仕えた忠臣・范蠡(はんれい)です。范蠡は、世界で最も古い養魚に関する書物『養魚経』を著し、その中で養魚の中心となっていたのが、やはり鯉でした。
 

唐代の禁令――鯉と皇帝の名が重なることで

唐の時代(618年)に入ると、初代皇帝・李淵(りえん)は、鯉の養殖、釣り、売買、さらには食用までもを禁じました。その理由は、鯉(リー)の音が皇帝の姓である李(リー)と通じていたためで、鯉を粗末に扱うことはすなわち皇帝を冒涜(ぼうとく)する行為と見なされたのです。このような厳しい禁令に困った民衆は、それまで野生の魚とされていた草魚、青魚、レンギョなどを飼育し始めました。そして、これらの魚を効率よく育てるために、現在の中国伝統の養殖技術である「施肥混養(しひこんよう)」が生まれることになります。
 

施肥混養とは――池を立体的に使う発想

この施肥混養とは、一言でいえば、養魚池を立体的に活用する方法です。たとえば、鯉だけを養う単養では、鯉が池の底にいる生物しか食べないため、その池の生産力は池底の状態に左右される、いわば平面的な利用にとどまります。
それに対し、施肥混養の立体利用では、まず池に肥料をまき、動物性および植物性のプランクトンを繁殖させます。そして、これらのプランクトンをエサとするレンギョを育てます。ハクレンは植物プランクトンを、コクレンは動物プランクトンを主に食べるため、自然と住み分けが可能となります。さらに、池の底にいる貝をエサにして鯉や青魚を養殖し、水草や池の周囲で刈り取った草をエサとして草魚を育てるなど、池全体の空間を無駄なく活用する知恵が詰まっています。
 
このような中国独自の養魚技術は、近代以降、科学的に改良されながらさらに発展を遂げています。
 


参考文献
1)『釣り六十年』 西園寺公一 二見書房
2)『魚の社会学』 加福竹一郎 共立出版