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優美な鯉図

初版 2005.11.27

《要約》

  • 鯉の優雅な泳ぎは美術作品でも表現されており、ワグネル作の伊万里焼皿や香蘭社製の壷がその一例である。
  • 欧米と日本では鯉を正面から描く構図の好みに違いがあり、それぞれの文化的視点が表れている。
  • ワグネルは明治期の日本に多大な貢献をしたドイツ人で、陶磁器技術にも影響を与えた。
  • 円山応挙の水墨鯉図は写実と余白を活かした名作で、鯉の品格と水の広がりを見事に描いている。

鯉を鑑賞する上での最大の魅力は、やはりその泳ぐ姿の優雅さにあると言えるでしょう。まさに淡水の王者にふさわしく、悠然として気品にあふれています。ここでは、そんな鯉の美しさを巧みに表現した美術品の数々をご紹介したいと思います。
 

透明感をもつ伊万里焼

下の写真は、伊万里焼(有田焼)の一品で、製作はドイツ人のゴットフリート・ワグネルによるものです。美しく泳ぐ鯉の姿に重なるように波紋が描かれ、透明感と光の屈折による微妙な輪郭のずれや色彩の変化が見事に調和しています。もう一匹の鯉は、画面奥から正面へ向かって泳ぎ出す姿で描かれ、全体の構成に深い奥行きをもたらしています。まさに鯉絵皿の傑作のひとつといえるでしょう。
 

ゴットフリート・ワグネル作 釉下彩鯉文 皿
出典)「古伊万里赤絵入門」中島誠之助 平凡社

 

鯉の「正面構図」への日欧の視点

ところで、このような鯉を正面から描く構図には、日欧の感性の違いが表れていて興味深く感じられます。他のページでも紹介している日本の鯉図には、正面構図はほとんど見られません。鯉の体の大きさや優雅さ、力強さを表現するには、横向きや斜めからの視点がふさわしいためでしょう。私ども鯉師が撮影する際にも、横からの構図が基本です。
 
それに対して、現代の欧米の鯉釣りサイトなどでは、真正面から撮られた写真がよく見られます。これは鯉の表情を強調し、まるで人格(魚格?)をもった存在としてとらえているようにも感じます。真偽のほどは別として、ヨーロッパでは正面構図が伝統的に親しまれてきたという背景も影響しているのでしょう。
 

ゴットフリート・ワグネルという人物

ワグネルについても触れておきます。正式名はゴットフリート・ワグネル(1831年~1892年)、ドイツ・ハノーバー生まれです。スイスで数学教師を務めた後、溶鉱炉建設に関わり、1868年(明治元年)に来日しました。
日本では石鹸工場の建設、日本初の石炭焼成による窯の設置などに携わる一方、酸化コバルトの希釈法、いわゆるワグネル呉須を指導。また、大学校(現・東京大学)の講師も務め、日本の美術工芸、化学、博物館、山林保護、窯業試験場など幅広い分野で尽力しました。まさに、日本の近代化に多大な貢献を果たした人物です。
 

香蘭社の伝統とワグネルの影響

次に紹介するのは、明治中期に製作された伊万里焼の壷です。名門・香蘭社の作品で、300年にわたり有田焼の技を受け継いできた窯元によるものです。
鯉の描写には、前述のワグネル作品と共通する要素が多く見受けられます。波紋の重なりや鯉の構図など、明らかにワグネルの影響が表現に反映されているように感じられます。
 

香蘭社製 色絵 貼花翡翠鯉文 壷
出典)「古伊万里赤絵入門」中島誠之助 平凡社

 

「伊万里焼」と「有田焼」の呼称について

なお、本ページでは「伊万里焼」と「有田焼」という名称を併用しておりますが、いずれも同義で、同じ磁器を指します。厳密には、美術史や陶磁器研究の分野では、「伊万里」は江戸時代に作られたもの、すなわち「古伊万里」を意味する場合が多く、現在の佐賀県・長崎県周辺で製作されていました。
 

応挙の鯉、静と動の美

最後にご紹介するのは、円山応挙の水墨画です。
応挙らしく、鯉の頭部、特に目の描写には写実的な力強さがあり、まるで絵から浮かび上がってくるかのような生命感を湛えています。一方で、水の描写は最小限のタッチながら、余白の使い方が巧みで、水の透明感や広がりを見事に表現しています。まさに、江戸時代を代表する鯉の水墨画と言っても過言ではありません。
 

円山応挙「鯉図」
出典)「水墨画の巨匠 応挙」講談社

 

鯉の優美さに心和む

以上、三作品を通して、鯉の美しさを映し出す名品をご紹介しました。淡水の王者を描くには、余計な要素を排し、鯉本来の優雅さを際立たせる構図が最もふさわしいように感じます。これらの作品を静かに眺めていると、心が和らいでいく思いがします。
 


参考文献
1)「古伊万里 赤絵入門」 中島誠之助 平凡社
2)「水墨画の巨匠 応挙」 安岡章太郎 佐々木丞平 講談社