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釣りの研究室
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滝登り図

初版 2005.11.27

《要約》

  • 鯉の滝登りは中国の故事に由来し、日本でも縁起の良い題材として絵画や工芸に広く用いられてきた。
  • 円山応挙は簡素な構成で鯉の姿を描き、非現実性を通じて象徴的な表現を試みたと考えられる。
  • 葛飾北斎は色彩豊かで力強い作品を残し、熊斐の影響が見られる。
  • 鯉図は古伊万里の皿や漆器にも取り入れられ、吉祥文様として親しまれている。

鯉と登龍門の物語

登龍門」のページでも触れましたが、中国の『後漢書』や『三秦記』に記された「鯉が滝を登って竜に変身した」という故事に由来して、鯉の滝登りは吉兆の象徴として語り継がれてきました。この伝承は日本にも伝わり、芸術の題材としても広く用いられるようになります。
 

円山応挙の静かな革新

鯉が芸術作品の主要なモチーフとして頻繁に登場するようになったのは、江戸時代中期の円山応挙(1733年~1795年)以降とされています。
ここにご紹介する応挙の「鯉図」は、水の流れと鯉だけが描かれており、それ以外の要素はいっさい省かれています。鯉の姿も、目を凝らさないと気づかないほど控えめです。こうした徹底した簡素さが、かえって観る者にさまざまな情景を想像させるという点で、非常に新鮮な印象を与える作品です。
 
ただ一点、私が不思議に感じるのは、写実主義で知られる応挙が、滝の中にもかかわらず、体を真っすぐに伸ばした鯉を描いたことです。跳ね上がる鯉であれば、尾鰭を使うため体を曲げるのが自然な姿のはずです。そう考えると、応挙はあえて写実を離れ、非現実的な姿を描くことで、鯉の滝登りという伝説そのものに対する独自の表現を試みたのではないか――そんな気もいたします。
 

葛飾北斎の描いた迫力ある鯉

葛飾北斎(1760年~1849年)は、言わずと知れた江戸時代の浮世絵師です。彼の「鯉の滝登り」は、応挙とは対照的に、色彩や背景を活かした華やかな作品です。二匹の鯉が躍動的に描かれており、全体として非常に力強い印象を与えます。
 
北斎のこの作品からは、次に紹介する熊斐(ゆうひ)の画風の影響が感じられます。私自身、両者の作品を見比べるたびにその繋がりを意識せずにはいられません。
 

熊斐と中国絵画の影響

熊斐(1712年~1772年)は、本名を神代(くましろ)彦之進といい、長崎の中国語通訳の家に生まれました。「熊斐」というのは中国式の雅号であり、彼は花鳥画の名手・沈南蘋(しんなんぴん)に直接師事した唯一の日本人とされています。
 
1731年、沈南蘋が長崎に渡来した際、熊斐はその写実的な技法を学び、以後の日本絵画に大きな影響を与える存在となりました。私の推測では、応挙も北斎も、熊斐の「登龍門図」に触れた上で、自らの滝登り図を描いたのではないかと考えています。私自身、この熊斐の作品が滝登りを題材とした絵画の中ではもっとも心惹かれるものです。

円山応挙「鯉図」
出典)「水墨画の巨匠 応挙」講談社

葛飾北斎「鯉の滝登り」
出典)「is」 79 ポーラ文化研究所

熊斐「登龍門図」
出典)「is」 79 ポーラ文化研究所

器に描かれた鯉の滝登り

鯉の図柄は、絵画にとどまらず、器の意匠としても好まれてきました。中でも「滝登り」を描いた文様は縁起が良いとされ、古伊万里の皿や漆器などにも数多く見られます。
 
ここでは、そうした器の中から、古伊万里の染付皿と、漆器の飯椀を一例としてご紹介します。いずれも前述の絵画作品の流れを汲む構図が見受けられ、日本人が長きにわたってこの題材を大切にしてきたことが感じられます。

「染付鯉の滝登り文皿」 古伊万里
出典)「古伊万里 小皿・豆皿・小鉢 1000」 講談社

「飯椀」 漆器
出典)「日本のうつわ」 神埼宣武 河出書房新社