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太公望

初版 2006.3.26|改版 2026.1.4

《要約》

  • 太公望は殷周革命を成功に導いた軍師で、周の建国に貢献した歴史的人物。
  • 釣りを通して賢君との出会いを待つ姿が後世に伝わる逸話となった。
  • 釣りは魚ではなく「天下」を得るための象徴的な行動だった。
  • 「太公望」とは、文王の父(太公)が望んだ聖人との意で、文王が名付けた敬称である。

釣り好きの方にとって、「太公望(たいこうぼう)」という名前はどこかで耳にされたことがあるかもしれません。たいていは「昔いた釣りの名人だろう」といった程度の認識ではないでしょうか。しかし実は、この太公望という人物、世間一般のイメージとはかなり異なります。
このページでは、「鯉」や釣りといった枠を超えて、古代中国の歴史の中で太公望という釣り人が、竿の先に何を見ていたのか──その奥深い姿についてご紹介していきたいと思います。
 

中国史と太公望の時代

私たちの世代の歴史教科書には、中国最初の王朝として「殷(いん)」が登場していた記憶があります。紀元前1500年ごろのことで、正式には「商(しょう)王朝」とも呼ばれます。
 
その殷の末期、暴君として知られる帝紂(ていちゅう)と、絶世の美女にして悪女とされる妲己(だっき)が登場します。ふたりは贅を尽くし、残酷な刑「炮烙(ほうらく)の刑」などを楽しむような非道を重ね、ついに民衆の怒りを買って王朝は滅亡へと向かいました。
 
この混乱の時代、周の文王(ぶんおう)は「仁」の精神に基づく政治を行い、周囲の信頼を集めながら勢力を拡大していきます。そして紀元前1064年頃、「殷周革命」によって殷を滅ぼし、次の時代を築くことになります。
この革命を成し遂げた立役者の一人が、文王の次男・武王(ぶおう)のもとで軍師として活躍した太公望だったのです。
 

釣り人としての太公望

軍師である太公望が、なぜ釣り人として名を残すことになったのか──その背景にふれてみましょう。
以下は、芝豪氏の著書『太公望』(PHP研究所)からの引用です。
 


妙な老人がいるという。幾日も釣りをしながら、獲物がない。いくら下手でも、もう少し何とかなりそうなものだが、一匹も釣れない。老人は毎日飽きもせず、釣り糸を垂れている。それも、終日---。
「見たか、あの爺さまを。釣り針が水面から三寸は離れて、空中に浮いたままだったぞ」(中略)
「いや、三寸なんて、そんな生やさしいものじゃなかったな」(中略)
「でもよ、餌はついていなかったようだな」
「そう。それに、釣り針も鉤がなかった。真っ直ぐだったな」


 
これは、太公望がまだ仕官する前、ばん渓川(ばん:石偏に番)という川のほとりで竿を出していた時の話です。彼はただ魚を釣っていたのではなく、未来の主君となる人物との出会いを待ち、竿を手に思索を巡らせていたのでしょう。
 

「太公望」芝豪 PHP研究所

 
やがて、都でその奇妙な老人の噂が広まり、文王は太公望を訪ねます。そして文王は、竿を垂れるその老人こそかねてより探し求めていた南方の姜(きょう)族の賢者であると見抜きます。
 
この出会いは後に多くの絵画に描かれ、伝説として語り継がれました。なお、「太公望」という名は、文王が「この人こそ、わが太公(ちちぎみ)が待ち望んでいた人物だ」と称えたことから生まれた呼び名です。
 
釣りを通じて語られる逸話の中でも、実際には太公望は釣りの名人だったわけではありません。竿を出していたのは、魚を釣るためではなく、時を見定め、志を果たすための手段だったのです。だからこそ、常識を超えたその姿が後の世に語り継がれ、「釣聖」と称されることになったのでしょう。
太公望の見つめていたもの──それは、竿の先に泳ぐ一匹の魚ではなく、「天下」だったのかもしれません。
 

太公望の逸話「覆水盆に返らず」

周の建国において大きな役割を果たした太公望ですが、若き日々は失敗の連続だったようです。釣りで魚は釣れず、商売も上手くいかず、ついには妻にも見放されたと伝えられています(ある説では、彼自身が家を追い出されたとも)。
 
やがて彼は軍師として才を現し、斉(せい)の国王にまで出世します。ある日、王の行列が通る道ばたで、一人の女性が身を縮めていたといいます。かつての妻でした。彼女はこれまでの非を詫び、復縁を願い出ました。
太公望は一つの盆に水を汲み、その水を地面に注ぎます。そして、「この水を元に戻せるか」と問いかけました。地に染みた水を再び盆に戻すことはできません。
「一度こぼれた水は、二度と盆には戻らぬ」──こう言って彼は去ったと伝えられています。
これが「覆水盆に返らず」という有名な故事の由来です。
 
ちなみに、哲学者ソクラテスの妻と並んで、太公望の妻も「悪妻」の代表として語られることがあります。しかし考えようによっては、そうした存在が偉大な人物を育てる推進力となるのかもしれません。
 


参考文献
1)『太公望』 芝豪・PHP研究所
2)『大黄河を釣る』 森秀人・小学館