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鯉の式典

初版 2005.11.27

《要約》

  • 浅草の報恩寺では、茨城県水海道市の菅原天神から贈られた鯉を用いて、由緒ある「まな板開き」の儀式が毎年1月に行われている。
  • 式典は、性信とその弟子性海の伝承に基づいており、鯉を直接手で触れずにさばく四条流包丁儀式として執り行われる。
  • 料理された鯉は京都の本山に送られ、一部は参列者に振る舞われる。伝統と信仰が重なる格式ある行事である。

浅草の報恩寺では、「まな板開き」と呼ばれる鯉を使った珍しい式典が毎年行われています。今回は、その由来と式典の様子についてご紹介いたします。
報恩寺は、1214年、下総国岡田郡横曽根(現在の茨城県水海道市)において、親鸞聖人の第一の弟子「性信(しょうしん)」によって開かれたお寺です。その後、八丁堀を経て現在の浅草に移転しましたが、水海道市にも今なお「下総坂東報恩寺」として寺院が残っています。
 

まな板開きの由来

ある日、報恩寺に一人の老人が現れ、どうか弟子にしてほしいと願い出ました。性信はその願いを受け入れ、老人に「性海(しょうかい)」という名を授けます。やがて性海は、「このご恩は一生忘れません」と告げて寺を去り、水海道市菅原天神にほど近い飯沼のほとりへと姿を消しました。
 
その後、菅原天神の神主が夢でお告げを受けます。「性信への感謝として、毎年池の鯉を二匹贈るように」とのこと。翌朝、神主が目を覚ますと、手水鉢の中には二匹の大鯉が泳いでいたと伝えられています。
 
これがきっかけとなり、現在でも毎年1月11日に水海道市の菅原天神から鯉二匹が下総坂東報恩寺へと届けられ、翌12日には浅草の報恩寺本坊に運ばれて、「まな板開き」の儀式が厳かに執り行われているのです。
 

まな板開きの式典

式典当日、浅草報恩寺の大書院には開祖・性信上人の画像が掛けられ、その前には菅原天神から献上された鯉二匹が、竹の簾に包まれて黒塗りの台に供えられます。
 
やがて住職が役僧を伴って入場し、席に着きます。役僧が簾を解いて鯉を大きなまな板の上に乗せると、控えていた料理人が登場。右手に包丁、左手に真魚箸(まなばし)を持ち、土佐烏帽子をかぶって、調理を始めます。
 
この調理では、鯉に直接手を触れることなく作業が進められます。これは「四条流包丁儀式」と呼ばれるもので、古典『源氏物語』や『宇治拾遺物語』にもその名が見える、由緒ある伝統技法です。現在では、国の無形文化財にも指定されています。
 
調理が終わると、まず一匹目の鯉は役僧の手によって尾が高く立てられます。これは、登竜門の故事にちなむ「竜門の鯉」を表現したものです。次に、二匹目の鯉は尾を立てず、ヒレや骨で「長久」の文字をかたどります。
 
調理を終えた鯉は、白木の箱に収められ、京都の本山へと送られます。また、残った部分は細かく刻まれ、参列者への「斎(とき)」としてふるまわれるとのことです。
 


参考文献
1)『魚の博物事典』 末広恭雄 講談社