禁漁のはじまり
《要約》
- 天武天皇は676年、「稚魚乱獲禁止令」を発令し、簗などでの漁を4〜9月に禁止、魚類資源の保護を図った。これが日本初の魚類保護法とされる。
- 持統天皇は689年、摂津・紀伊・伊勢に禁漁区を設け、漁業資源管理を強化した。
稚魚乱獲禁止令
天武天皇(673年-686年)が、676年に「食肉禁止令」を発令したことは「日本の食文化と鯉」のページで述べていますが、 同時に天皇は「稚魚乱獲禁止令」も発令しました。都に人口が増えたことと食肉禁止令の発令が重なり、近くの川や湖沼から鯉やフナ等を根こそぎ獲って しまう恐れがあったため、このような発令に至ったと考えられます。日本において魚の増殖を目的とした法律の始まりといえます。 以下に日本書紀から引用し紹介します。
天武天皇4年(西暦676年)4月17日
諸国の詔して、「今後、漁業や狩猟に従事する者は、檻(おり)や落とし穴、仕掛け槍などを造ってはならぬ。4月1日以後9月30日までは、隙間のせまい簗(やな)を設けて魚をとってはならぬ(稚魚の保護)。また、牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べてはならぬ。それ以外は禁制に触れない。もし禁を犯した場合は処罰がある」といわれた。
(「全現代語訳 日本書紀 下」 宇治谷孟 講談社 p268 より)
禁漁区設定令
稚魚乱獲禁止令が発令されてから数年の後、次第に法律が守られなくなってきたと考えられます。そこで持統天皇(686年-697年)は、689年に「禁漁区設置令」を発令しました。これは。摂津の国(今の兵庫県) 、紀伊の国(今の和歌山県有田市)、伊勢の国(今の三重県)にそれぞれ禁漁区を設け、そこで食用の鯉やフナの増殖をはかったのです。また淡水魚に止まらず海の漁獲を守るために、河内の国(今の大阪府)に海を守る守護人をおきました。 以下に日本書紀から引用し紹介します。
持統天皇3年(西暦689年)8月16日
摂津国(せっつのくに)の武庫海一千歩(一歩は5尺)の内海、紀伊国有田郡の名耆野(なきの)二万代(四十町歩)、伊勢国伊賀郡の身野(むの)二万代に禁漁区を設け、守護人をおいて、河内国大鳥郡の高師海に準ずるものとした。
(「全現代語訳 日本書紀 下」 宇治谷孟 講談社 p322 より)
《参考文献》
1)「お魚の分化誌」 有薗眞琴 舵社
2)「コイの釣り方」 芳賀故城 金園社
3)「全現代語訳 日本書紀 下」 宇治谷孟 講談社