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釣りの研究室
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時計工場「ハルダ」

初版 2009.3.8

ハルダ設立

 
1880年、時計技術者のヘニング・ハンマルルンド(Henning Hammarlund)は、スウェーデン南部の小さな町、スヴァングスタにやって来ました。モーラム(Mörrum)川のほとりを歩きながら、彼は長年の夢であった時計工場の建設を、この地で実現する決意を固めたのです。
 
ヘニングは、時計づくりの本場とも言えるスイスやドイツで技術を学び、その技をスウェーデンで花開かせようとしていました。とはいえ、スヴァングスタには時計づくりの経験を持つ人などおらず、彼はまず、地元の若者たちを一から教育するところから始めました。
 
そして1887年、ついに時計工場が完成し、ハルダ(Halda)の名のもとに時計の製造が始まります。社名はオーナーにちなんだものです。
その後の1891年には、若き工場長兼設計者としてカール・オーガスト・ボリストレム(Carl August Borgström)が招かれます。のちに釣具メーカー「ABU」を創業することになる人物です。
 

隆盛の時代

設立後のハルダ社は順調に業績を伸ばし、小型置時計や通話時間計など時計事業の幅を広げていきました。さらに1896年には、タクシーメーターの製造を開始します。
 
もっとも、当時の「タクシー」は自動車ではなく、馬車が主流だった時代です。その馬車に取り付けるメーターを、ハルダ社は開発・販売したのです。輸出も好調で、とりわけロンドン市場では、ハルダ社製メーターの独壇場となりました。メーターは、馬車の車輪の回転を利用して駆動する仕組みで、乗客にも見やすいよう、車体の外側に取り付けられていたといいます。
 
また懐中時計についても、ハルダ社の製品は群を抜く品質を誇っていました。金や銀を使用した高級モデルに加え、依頼主の要望に応じて彫刻や特注の文字盤を施すといったきめ細やかな対応がなされていました。さらには、視覚障害者向けの点字時計まで手がけるなど、技術と心配りの両面で際立った企業だったことがうかがえます。
 

終焉と転機

1918年、第一次世界大戦が終結すると、ヨーロッパの経済情勢は大きく変わり始めました。とくにドイツは深刻な経済崩壊に見舞われており、その影響はスウェーデン企業にも及んでいたようです。
 
ハルダ社は、これまで成功させてきたタクシーメーターのリース事業をロンドンなどで継続しながらも、並行して手がけていたタイプライター事業が徐々に軌道に乗りつつありました。一見すると、安定した経営が続いているように見えたこの時期に、事態は思わぬ方向へと傾き始めます。
 
一説には、創業者ヘニングが、不安定なドイツマルクに絡む投資に失敗したとも伝えられていますが、真偽のほどは定かではありません。いずれにしても、会社の経営権は銀行に移り、経営方針の大転換が図られることになります。
 
その結果、ハルダ社はタイプライター事業に専念することとなり、タクシーメーターと時計の製造ラインは切り離され、他社に売却されてしまいました。さらに数年後には、工場が別の地域へと移転し、社名もハルダから「ハルデックス(Haldex)」へと変更されました。
 
こうして、ハルダの名の下で続いた三十余年の歴史は、静かに幕を閉じたのです。