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ABUの誕生

初版 2009.4.5

ABU創業の軌跡

ハルダ社の倒産により、カール・アウグスト・ボリストレム(Carl August Borgström)は職を失い、これからの人生をどう歩むべきか、来る日も来る日も一人で思い悩んでいたそうです。
そしてある日、ひとつの決心に至ります──「時計製造の道に戻ろう。機械や部品をそろえて、もう一度、自分の手で時計を作ろう」と。
 

ABU創業者 カール・アウグスト・ボリストレム(1871–1934)
出典:『ABU and Garcia - What Happened?』p.17

 
その後のカールは、銀行、友人、知人から可能な限りの資金を借り集め、時計製造の再興に奔走します。
そして、スヴァングスタにあった古い教会跡を格安で購入し、そこを改装して新しい工場としました。彼自身に加えて、ハルダをともに退社した息子のヨーテ(Göte)と数名の元従業員を雇い入れ、1921年、「AB Urfabriken(アー・ベー・ウールファブリーケン)」が正式に誕生します。やがてこの社名は、「ABU(アブ)」という呼称で知られるようになっていきました。
なお、「AB」の意味については、現在ふたつの説が伝わっています。一つは「株式会社(Aktiebolag)」を表す略称、もう一つは「August Borgström(アウグスト・ボリストレム)」の頭文字を取ったものです。そして「Urfabriken」はスウェーデン語で「時計製造工場」を意味しますから、「時計製造株式会社」、あるいは「アウグスト・ボリストレム時計製造」のいずれの解釈も成り立つわけです。
どちらが真実かは、カールの孫であるレナート・ボリストレム(Lennart Borgström)の著書においても明言されておらず、ここではこれ以上の詮索は控えることにいたしましょう。
 

腕時計からタクシーメーターへ──父子二代の挑戦

創業当初のABUでは、当時人気を博していた腕時計や、電話の通話時間を計測する装置などを製造していました。その一方で、新型タクシーメーターの開発にも取り組んでいたのです。
この開発を担ったのは、設計の経験が豊富なカールと、彼の息子ヨーテのふたりでした。ヨーテはわずか14歳でハルダに入社した早熟の技術者であり、ABUにおいても父のもとで実務と技術を徹底的に学び、やがて中心人物へと成長していきました。
 
1926年、新型タクシーメーターが「Record(レコルド)」という商品名で発売されます。ところが、当時のタクシーメーター市場にはすでにハルダ・ブランドが確固たる地位を築いており、「レコルド」は思うように売れなかったようです。過去の名が、皮肉にも新しい挑戦の壁となったのです。
 

次世代の誕生と、創業者の死

1929年、ヨーテは同じスヴァングスタの町に住むリーセン(Lisen)と結婚します。2年後の1931年には長男が誕生しました。この子こそが、後に三代目社長となるレナート・ボリストレム(Lennart Borgström)です。
 
そして1934年、創業者であるカール・アウグスト・ボリストレムは、63歳で静かにその生涯を閉じました。新たな挑戦を志し、工場を立ち上げたあの決断から、わずか13年の歳月でした。
 

世界最小のタクシーメーターと、時代の波

父の死後、ABUの経営を引き継いだヨーテは、より小型のタクシーメーターの開発に着手します。競合他社が次々とコンパクトなモデルを発表する中、彼が目指したのは「世界最小」。タクシーのダッシュボードに取り付けられるサイズまで、徹底して小型化されたものでした。しかしその実現には困難が伴いました。完成したモデルは約800点もの部品から構成されており、製造コストは非常に高くなってしまったのです。
 
ヨーテはこの状況を打開すべく、平日の夜も、週末も休まず、改良に取り組み続けました。試作を重ね、設計を見直し、ついに1939年、新たなタクシーメーターが完成を迎えます。ところがその年、不幸にも第二次世界大戦が勃発。スウェーデンでは自動車の輸入が途絶え、同時にタクシーメーターの輸出もできなくなってしまいました。
 
こうして、ようやく完成にこぎつけたメーターも市場に出ることなく、ABUのタクシーメータービジネスは終焉を迎えることとなったのです。