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Ambassadeur5000の誕生

初版 2009.5.31

Recordの進化

1941年にRecord(レコルド)1000シリーズが発売されると、ABU社はさらに機能を向上させたRecord 2000シリーズを世に送り出しました。このRecord 2000では、それまでラインが引き出される際に指でスプールを押さえていた方式から、プッシュボタン式のスプールブレーキを搭載するという大きな改良が施されました。
 
さらに1945年には、Record Sport 2100が登場。このモデルにはスプールフリー機構に加え、遠心ブレーキ機構も備わっており、当時のスウェーデン国内で盛んだったスポーツ・キャスティング競技、とりわけ遠投競技の世界で高く評価され、多くの世界チャンピオンがこのリールを使用しました。競技仕様としては、軽量なマグネシウム合金製スプールも販売されていたようです。
 
こうしてRecord 2000シリーズはその名を世界に知られるようになり、1951年にはスウェーデン王室御用達の栄誉を受けるに至ります。これにより、リールにスウェーデン国王の徽章を刻むことが許されました。現在でもなお、ABUのリールといえば、この徽章がシンボルとして広く知られています。
 
徽章の文字について
Record Sport 2100の徽章には、「HM KONUNGENS HOVLEV.」と記されています。これはスウェーデン語で「国王御用達」という意味のようです。一方、アンバサダー7000の写真を見ると、そこには「Kungl Hovleverantör」という文字があり、「ロイヤル御用達」と訳されます。意味としてはほぼ同じと思われますが、途中で表記が変わった理由については、今のところはっきりした資料を見つけることができていません。
 

Record Sport 2100
ABU リール大図鑑p127より引用

Ambassadeur 7000 (SN.910504)

現在のスウェーデン国章

オーケ・ムルヴァル(Åke Murvall)の登場

 

Ambassadeur設計者オーケ・ムルヴァル(左側)
ABU and Garcia - What Happened? p55より引用

 
Recordシリーズが順調に発展を遂げていた1944年、ABU社の工場長として新たにオーケ・ムルヴァルが就任します。彼はもともと、ABUにダイカスト部品を納入していた鋳造メーカーで働いていた優秀な技術者であり、ABUがなぜアルミスプールに鋳物を使わないのかを不思議に思っていたそうです。
 
実際に工場長としてABUに入ってその理由が明らかになります。当時の設計図には寸法公差が指定されていなかったため、寸法のばらつきが避けられない鋳造部品は使えず、結果としてすべての部品を旋盤加工で作るしかありませんでした。つまり、組立作業者がその場で削ったり調整したりしながら組み立てるという、熟練の技術を前提としたやり方だったのです。
言い換えれば、当時のRecordシリーズの優れた性能は、現場の技術者たちの腕に大きく支えられていたということになります。
 
多忙な日々を送る中で、オーケ・ムルヴァルは日中の業務を終えた夜や週末を使い、新型リールの設計に情熱を注ぎました。目指したのは、機能性はもちろんのこと、部品の品質と精度を向上させ、誰でも無調整で組み立てられる、いわば“真の意味でのマスプロダクション対応”のリールでした。
 
現在、ABUリールが「高精度・高品質」と称されるその礎を築いたのが、このオーケ・ムルヴァルであると言っても過言ではありません。アンバサダーシリーズにおけるパーツ交換の容易さや、メンテナンス性の高さも、すべて彼の設計哲学の賜物です。
 
ABUの歴史を振り返る際、オーケ・ムルヴァルの名が大きく取り上げられることは決して多くありませんが、アンバサダーという名機を世に送り出した立役者であることは間違いないでしょう。そして彼の代表作は、今なおその基本設計を大きく変えることなく、世界中の釣り人たちに愛され続けています。
 

二足の草鞋を貫いたエンジニア魂

米国特許を調べてみると、オーケ・ムルヴァルの名義で1978年までの登録が確認されています。つまり、1944年の工場長就任から30年以上にわたり、彼は技術者としても第一線で活動を続けていたということです。経営と設計、その両方をこなすという、まさに二足の草鞋を履いたエンジニアだったわけです。
 
ABUファンの中では、1980年以前のリールを「オールドABU」と呼び、収集の対象とする傾向がありますが、言い換えればそれは、オーケ・ムルヴァルの時代に生まれた製品群の完成度が、いかに高かったかの証しとも言えそうです。
 

Ambassadeur 5000の誕生

Ambassadeur5000(1952年)
ABU and Garcia - What Happened? p58より引用

 
オーケ・ムルヴァルが設計した最初のアンバサダーには5000番というモデルナンバーが与えられ、1952年に発売されました。このリールには、遠心ブレーキ、フリースプール、レベルワインド、スタードラグといった先進の機構が搭載されており、革製のエレガントなケースと交換用パーツも付属していました。
 
当時の価格はなんと約45米ドル。当時、米国市場で主流だったフルーガーやシェイクスピアのリールが30ドル前後だったことを考えると、アンバサダー5000がいかに高価で特別な存在だったかがわかります。
 
さらに特筆すべきは外観の美しさです。当時はニッケルやクロムのメッキが一般的でしたが、アンバサダー5000はサイドキャップにアルミを使用していたため、アルマイト処理によるカラー展開が可能になりました。発売当初は、レッド、ブラック、ゴールド、グリーンの4色が用意され、人気投票ではグリーンが最も支持されたといいます。
 
ところが、創業者ヨーテ(Göte)の「鶴の一声」により、最終的には赤がメインカラーとされました。こうして、アンバサダーは「世界で最初の赤いリール」として、釣り具の歴史にその名を刻むことになったのです。