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釣りの研究室
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日本の養鯉

初版 2005.11.27

《要約》

  • 養鯉技術は聖徳太子の時代に中国から伝わり、昭和まで各地で飼育されていた。
  • 日本独自の集約養殖法が発展し、ハマチ養殖などへも展開された。
  • 霞ヶ浦では1964年に小割式いけす法が導入され、戦後の養鯉拠点となった。
  • 2003年にKHVが発生し鯉が大量死。以降、養鯉は廃業状態が続いている。

古代より受け継がれた鯉と日本の関わり

日本には古くから鯉が自然分布しておりましたが、本格的な養鯉技術は、聖徳太子の時代に中国から伝来したものと考えられています。遣唐使の往来を通じて、養蚕と結びついた養鯉技術がもたらされたようです。以来、昭和期に入るまで、蚕のサナギをエサに用いた鯉の単養は、全国各地で行われてきました。
 

日本独自の集約養殖とその発展

この養魚の技術は、やがて限られた面積で高い生産性を実現する、日本独自の集約養魚法へと進化していきました。エサには魚粉が用いられ、さらには魚に魚を食わせる「ハマチ養殖」など、先進的な手法が確立されていきました。
 

霞ヶ浦における養鯉の隆盛

戦後の日本において、茨城県の霞ヶ浦は、全国を代表する鯉の生産地となりました。昭和39年(1964年)には、霞ヶ浦および北浦に「小割式いけす法」と呼ばれる新たな養鯉手法が導入されました。
この方法は、四角形の網いけすを湖底に打ち込んだ支柱に吊るし、水中に設置するものです。いけすは、間隔をあまり空けずに列状に配置され、それぞれの上部には自動給餌機が取り付けられていました。
 

北浦の小割式いけす(2005年9月撮影)

 
また、湖岸の各地では「池中養鯉」も盛んに行われており、こちらは網いけす業者向けの種苗供給を目的としたものでした。
 

KHVによる衝撃と産業への打撃

ところが、2003年秋、日本の鯉産業を揺るがす衝撃的な出来事が起こります。霞ヶ浦の養鯉いけすで、大量の鯉が突然死するという異常事態が発生したのです。原因は、KHV(コイ・ヘルペス・ウイルス)。数年前に海外で確認された鯉特有のウイルス性疾患が、何らかの経路で日本国内に持ち込まれたものと思われます。
このウイルスは瞬く間に全国へと広がり、鯉の養殖業に甚大な被害をもたらしました。
 

養鯉の現在と再開への模索

現在ではKHVの流行は沈静化したとされておりますが、霞ヶ浦・北浦においては、いまだに養鯉の再開には至っておりません。いけすは空のまま放置され、かつての活気は見る影もありません。
一部では、KHVに耐性をもつとされる鯉の個体を用いた試験的な養飼育も行われているようですが、2005年現在、その成果は定まっておらず、再開の目処は依然として立っていない状況です。
 


参考文献
1)『魚の社会学』 加福竹一郎 共立出版
2)『湖辺の風土と人間 霞ヶ浦』 松浦茂樹・石崎正和・矢倉弘史 そしえて