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南総里見八犬伝

初版 2005.11.27

《要約》

  • 『南総里見八犬伝』は南総里見家の興亡と、八つの徳を持つ八犬士の物語で、江戸時代の長編読本として著名。
  • 冒頭、結城の合戦に敗れた里見義実は安房へ逃れ、館山城主・安西景連のもとを頼る。
  • 景連は義実に鯉釣りを命じるが、鯉のいない土地での無理難題で義実を試す策略だった。
  • 義実は乞食姿の元武士・孝吉と出会い真意を悟り、共に平和な国づくりを目指す決意を固める。

南総里見八犬伝は、1814年に刊行が始まり、28年の歳月をかけて完結した、雨月物語と並ぶ江戸時代を代表する読本です。作者は曲亭馬琴で、後年は失明しながらも口述筆記にて筆を進め、遂に完結に至ったと伝えられています。
 
この物語は、室町時代の南総里見家の興亡を背景に、神犬・八房の霊気に感応した伏姫(ふせひめ)から生まれた八犬士が登場します。彼らはそれぞれ、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の珠を携え、里見家に取り憑く怨霊の妨害など数々の困難を乗り越えつつ、各地に散っていた仲間たちが次第に集結していく物語です。1970年代初頭にはNHKで人形劇として放送され、中学生だった私も毎週欠かさず見ていた記憶があります。
 
さて、この物語の冒頭に、鯉釣りが印象的な場面として登場しますので、以下にご紹介いたします。
 

1.結城の合戦

物語は、後花園天皇の御代、永享10年から始まります。京都にいた六代将軍・足利義教(よしのり)と、鎌倉にいた足利持氏(もちうじ)との間で合戦となりました。敗れた持氏は、翌年に長男とともに切腹を遂げますが、次男・三男は家臣である結城氏朝(うじとも)を頼って下総(現在の茨城県)へ落ち延びました。
 
やがて、京都方の追手が結城城に迫ると、里見季基(すえとも)ら恩義ある武士たちが結城側として参陣。籠城戦に持ち込まれましたが、戦いは3年にも及び、遂に孤立してしまいます。結城城は一の木戸、二の木戸と突破され、落城へと至りました。これが「結城の合戦」です。
 
落城のさなか、里見季基は19歳の長男・里見義実(よしざね)を戦場から逃がしました。義実は父と共に討死を覚悟していましたが、父の懸命な説得を受け、涙ながらにその場を離れます。ちなみに義実こそが、本作の主人公・伏姫の父であります。
 

2.館山の安西景連

炎上する結城城を後にした里見義実は、老臣・氏元(うじもと)と貞行(さだゆき)を伴い、安房(現在の千葉県南部)を目指しました。義実は館山城主・安西景連(かげつら)に面会を申し入れます。
 
景連は里見家とは縁もゆかりもなく、面会を一度はためらいましたが、「使い道があれば」との思惑で対面します。そして「我が陣に加わってほしい」と持ちかけ、義実はそれを受け入れました。
 
景連はさらに言います。「安西家では出陣の際、軍神に鯉を供える習わしがある。3日以内に自ら鯉を釣り上げよ。果たせぬ場合は和議の意思なしとみなす。」義実は「心得ました。鯉を釣ってまいります。」と静かに応じました。
 

3.義実の鯉釣り

しかしこの命は、実に理不尽なものでした。というのも安房一帯は鯉の棲まぬ土地柄であり、景連はそれを承知のうえで義実に無理難題を突きつけたのでした。約束を果たせぬ義実の首をはねようという、悪意ある策略であったのです。
 
そのことを知らぬ義実は、川に通っては朝から晩まで竿を垂れ続けました。他の魚は釣れるものの、鯉は一向にかかりません。意気消沈していた義実の前に、乞食風の男が現れ、この地に鯉はいないことを告げます。
 
その男こそ、かつて安房・滝田城の家臣であった金碗八郎孝吉(かなまりはちろうたかよし)でありました。滝田の城主は、淫婦・玉梓(たまずさ)の色香と酒に溺れ政を失い、孝吉は見限って城を出たのでした。孝吉は、義実と共に安房を正すため旗揚げを願い出ます。義実は思案の末、その申し出を受け入れる決意を固めたのでした。
 

里見義実が氏元と貞行を伴い鯉釣りをする場面
出典)「南総里見八犬伝」 濱田啓介校訂 新潮社 p86-87

 
以上が「南総里見八犬伝」の冒頭部分のあらすじです。なお、淫婦・玉梓は後に怨霊となって物語のなかで幾度となく登場し、里見家に災いをもたらします。この続きの物語につきましては、興味をお持ちの方にぜひ原典を手に取っていただきたいと思います。
 


参考文献
1)「南総里見八犬伝」 白井喬二訳 河出書房新社
2)「南総里見八犬伝」 曲亭馬琴 濱田啓介校訂 新潮社
3)「釣魚をめぐる博物誌」 長辻象平 角川書店