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吉備津の釜

初版 2005.11.27

《要約》

  • 上田秋成の『雨月物語』に収められた「吉備津の釜」は、鬼・温羅と吉備津彦命の戦いを描いた怪異物語。
  • 温羅は鬼ノ城に住み、村人を襲っていたが、吉備津彦命が退治に向かう。
  • 戦いの末、温羅は鯉に、吉備津彦は鵜に変身し、水中で決着がつく。
  • 吉備津の釜に温羅の首を埋めると泣き声は止み、以来その釜で吉凶を占う伝承が生まれた。

江戸時代を代表する読本のひとつに、上田秋成(うえだ あきなり)の『雨月物語(うげつものがたり)』があります。1776年に刊行されたこの作品には、怪異を主題とした九つの短編が収められており、その中の一篇「吉備津の釜」は、今に伝わる不思議な物語です。今回は、このお話をご紹介しましょう。
 

鬼の住む山「鬼ノ城」

むかしむかし、備中の国――いまの岡山県にある鬼ノ城(きのじょう)というところに、恐ろしい鬼が住んでいたといいます。鬼は岩屋にこもり、夜になると村に下りてきては財産を奪い、女性を殺し、気に入らぬ者をさらっては、岩屋の中の大きな釜で煮て食べていたというのです。
この鬼を、村人たちは「温羅(うら)」と呼び、たいそう恐れていたそうです。
 

鬼退治にやってきた吉備津彦命

この噂は、やがて都にまで伝わりました。そこで孝霊天皇の皇子・吉備津彦命(きびつひこのみこと)に命じて、この鬼を退治させることになりました。
吉備津彦命は大勢の家来を率い、吉備の中山に陣を構えました。それを知った温羅は、大きな岩を投げつけてきます。吉備津彦も弓矢で応戦。空中で弓矢と岩が激しくぶつかり合い、やがて谷底深くへと落ちていったと伝えられています。
 

神の導きと勝利

そんな激しい戦いのさなか、どこからともなく白髪の老人が現れ、吉備津彦に告げました。
「一本の矢を放っても益はなかろう。二本の矢を同時に放せ。」
これは神のお告げに違いないと、吉備津彦はさっそく二本の矢を同時に放ちました。一矢は温羅の投げた岩に当たり、もう一矢は温羅の左目を射抜いたのです。
傷ついた温羅は岩屋に逃げ込み、ためていた水の栓を抜きました。水はあふれ出て川となり、温羅は鯉の姿に化けて川に飛び込んだのです。
川の水は、温羅の流す血で真っ赤に染まりました。
 

鵜と鯉の追いかけ合い

吉備津彦は今度は鵜に姿を変え、鯉となった温羅を追いかけました。鯉は逃げ、淵の底に身をひそめようとしましたが、鵜は鋭いくちばしで容赦なく攻め続けました。
ついに温羅は力尽き、観念したと伝えられています。
 

祟る鬼と不思議な釜

吉備津彦は温羅の首をはね、さらし首としました。しかしその首は、夜になると泣き叫び、あたりに不気味な声を響かせ、村人を困らせたのです。
ある夜のこと、吉備津彦の夢に温羅が現れ、こう告げました。
「わしの首を吉備津の宮のかまどの下に埋めよ。そして妻・阿曾女(あぞめ)をそばに置き、かまどの火を焚かせよ。そうすれば、吉凶を釜の唸りで占ってやろう。」
 

鯉喰神社と吉備津神社の伝承

言われたとおり、かまどの下に八尺余りの深さの穴を掘り、温羅の首を埋めたところ、それ以来首は泣き叫ばなくなったと伝えられています。
また、吉備津彦が放った弓矢と温羅の岩がぶつかった場所には「矢喰宮(やぐいのみや)」が、鯉となった温羅が食い殺された場所には「鯉喰(こいぐい)神社」が建てられたそうです。
 

鯉喰神社
出典)「日本の伝説29岡山の伝説」p28

 
そして吉備の中山には、吉備津彦命を祀る吉備津神社が今もあります。ここの釜――いわゆる「吉備津の釜」は、今もなお大切に守られ、音をもって吉凶を占うとされているのです。
 


参考文献
1)新潮日本古典集成 『雨月物語 癇癖談』 浅野三平:校注 新潮社
2)現代教養文庫 『雨月物語・春雨物語』 訳者:神保五彌、棚橋正博 社会思想社
3)『日本の伝説29 岡山の伝説』 太田忠久・水藤春夫 角川書店