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永遠の本棚 / 第5竿: ヘミングウェイ釣文学全集上巻

「横になって」より抜粋

「闇の中で目を見開き、私はいろいろなことを思い浮かべては時を過ごした。子供の頃に鱒を釣った川―――私はよくそれを心の中に浮かべ、その川の端から端まで、入念に釣っていった。すべての倒木の下、すべての川岸の抉れ(えぐれ)、すべての淵、すべての澄んだ浅瀬を、入念に入念に釣っていった。」

 

戦争で負傷した経験をもつヘミングウェイの作品には、戦争を題材とした作品が数多く残されている。この「横になって」もそんな作品の中のひとつで、戦争の後遺症で毎晩寝つきが悪い中、暗闇で思い浮かべる少年の日の釣りの思い出を綴ったものである。

さて、この文章を読んだとき、私の脳裏を横切ったのはやはり自分の少年の頃の想い出であった。今日こうして淡水大魚に魅せられ水面に糸を垂らすようになったのは、子どもの頃にインプットされた大魚への憧れと、釣り上げた時の興奮が今でも忘れられないからである。

いつも父に連れられて行く川は、田園地帯を曲がりくねって流れる小さな川であった。両岸は木々がうっそうと茂り、水流によって削りとられた土がむき出しになっていた。いたるところに淀みがあり、そこにはいかにも大物が潜んでいる予感がした。幼かった私は、竹竿に玉浮きの一本バリ仕掛けでミミズを一匹掛ける。私の父と、父の友人でこの川辺に暮らすおじさんは、竹の延べ竿でぶっ込み釣りであった。竿の先に結んだ小さな白い布を見てアタリをとり、タイミングを見計らって合わせるという極めてシンプルな釣法である。継竿ではなく、一本の竹を切っただけの延べ竿は、竿尻が斜めに切り落とされ、足元の土にいとも簡単に突き刺すことができた。

白い布が、ちょんちょんと動く。竿に手をかけて布に全神経を集中させる。竿が大きくお辞儀をした瞬間、すかさず竿を持ち上げる。水面から姿を現すのは、鯉はもちろん、今では数が激減した真ブナ、日本古来のなまず、時には大きなカニが釣れることもあった。この小さな川の淵には、信じられないほどの生き物がくらし、陸上とは別世界が水中に存在していることがとても神秘的に感じられた。そんな別世界とたった一本の糸で結ばれ、あたかも対話でもしているかのよう川岸に座っていることは、私にとって別世界に無限の想像をめぐらす夢のようなひとときであった。

自分の玉浮きが上下して波紋を広げ始めた。次の瞬間、浮きが斜めに沈んだ。とっさに竿を大きく煽って手元に伝わる魚の振動を確かめると、胸の鼓動が高鳴った。大抵は真ブナが上がってきたが、時には子鯉も混じることもあった。私の中ではあらゆる魚の中で鯉は別格であった。大きな鯉を釣ることが、最高の勲章であることのように考えていた。

実家には、子どもの頃に釣りあげた37cmの鯉の魚拓が今でも残っている。そして現在、私の長男の部屋の壁には、私の父が晩年に雄物川で釣りあげた80cmの鯉の魚拓が飾られている。父はすでに他界したが、釣りを楽しむDNAは間違いなく引き継がれている。

故郷に帰った時にさみしく思うのは、曲がりくねった川は現在ではまっすぐなコンクリート護岸に変わり、そこで釣りをする子どもの姿などもはや見られない。昭和の高度成長は、物質的な恵みをもたらしたが、その代償として次の世代に体験させるべき大切なものを失ってしまったような気がしてならない。

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